研究の背景
自閉スペクトラム症(ASD)は対人相互作用の障害をしめす神経発達症です。ASD者にとって視線方向の弁別が難しいということは知られていますが、他者が自分を見ていると判断する程度に定型発達者と違いがあるかは明らかにはなっていませんでした。接近や興味を予期させる自分に向けられた視線を知覚することは相互作用の起点となるため、視線が自分に向けられていると知覚しにくいことがASDを持つ人の社会的な困難さに影響している可能性があります。
研究手法・成果
本研究では、ASDを持つ知的障害のない成人20名(ASD群)、年齢・性別・IQで差がない定型発達者20名(TD群)の他者の視線の知覚を比較しました。視線方向が0°(直視)から左右10°までの内集団および外集団の人物の顔写真(図1)を一枚ずつ150ms間ディスプレイ上に呈示し、視線がまっすぐか逸れているかではなく、自分を見ているか見ていないかの判断を行ってもらいました。また、自分に向けられた視線の知覚に影響する要因を探るため、実験後に、視線が0°と10°顔写真に対して生じた印象や参加者自身の感情について評定を行ってもらいました。
実験の結果、自分を見ていると判断する頻度にASD群とTD群の差はなく、ASD者にもある程度逸れた視線でも自分を見ているととらえるバイアスがみられました。しかし、TD群では外集団と比べて内集団の顔の方で自分を見ているという判断が多かったのに対し、ASD群ではこのような違いがみられませんでした(図2)。ASD群では外界の情報を自己に関連付けて処理する傾向が弱いため、自己関連性の高い内集団とそうでない外集団との差がみられなかったのかもしれません。また、ASD者にみられる優れた視覚処理能力が顔の集団間での視線知覚の差を小さくしている可能性も考えられます。
顔写真の印象評定や喚起された感情について、TD群とASD群で差がみられたのは、人物の温かさの印象評定でした。TD群では内集団と外集団の顔写真で評定に違いがみられませんでしたが、ASD群は内集団の逸れた視線と外集団の直視に対してそれ以外の写真よりも温かいという印象を持っていました。また、ASD群のみで、逸れた視線よりも直視に対して主観的な覚醒度の高まりがみられました。このような評定の結果は、ASDを持つ人が内外集団の人物の視線に対して定型発達者とは異なる感情経験を持つことを示唆しています。
今後の予定
本研究では、視線の知覚と主観的な評定の間に明確な対応はみられませんでした。ASDを持つ人の自分に向けられた視線の知覚がどのような要因によって左右されるのか、視線が自分に向いていると知覚する傾向が社会機能にどのような影響を与えるか、さらに検討が必要です。また、定型発達者の結果が先行研究とは一致せず安定しなかったため、より大きなサンプルサイズでの検討が望まれます。
参考
本研究は、科学研究費補助金特別研究員奨励費「広汎性発達障害における自動的な共同注意機能障害の心理・神経メカニズムの解明(11J05000)」の支援を受けました。図1は以下の論文の図表を改変したものです。
Uono, S., & Hietanen, J. K. (2015). Eye contact perception in the West and East: A cross-cultural study. PLoS ONE, 10, 2, e0118094.
論文情報
Uono, S., Yoshimura, S., & Toichi, M. (in press). Eye contact perception in high-functioning adults with autism spectrum disorder. Autism: International Journal of Research and Practice. doi: 10.1177/1362361320949721